我が師、導きのアウトロー

《アウトロー》という言葉をご存知だろうか。
直訳すれば無法者。ヤクザやギャング、マフィアなんかがこれに該当する。

私の勤めている会社にも一人、そんな無法者が居る。

なぜ彼は、訪れる安寧に身を任せることなく、あえて後ろ指を差される人生を選んだのだろうか。
そこには、私たち一般ピーポーの理解を超えた、途方も無い哲学と人生観が詰まっている。

今日は私の永遠の師、mzfk(マザファカ)さんについて話そうと思う。

 

・生まれつき

彼の幼少期は、耳を疑うほどパンチが効いている。

小学校3年の時には既に飲酒と喫煙を経験し、小6で先輩のバイクに跨って近所を爆走していたらしい。
まず小3で煙草とかお酒に興味を持つことがよく分からないし、小6なのに先輩が居るという意味不明さも最高に攻めている。

これらの非行の動機は、ありがちな「不良に憧れて」というつまらないものではなく、ただ単純に息をするぐらい自然にやっていたというのだから、マジで戦慄する。
無論悪いことをやっているという自覚はあったろうが、非行を行うことそれ自体が目的だった訳では無いらしい。
強いて言うなら好奇心からだろうか。

虫に興味を持って、将来は昆虫博士になると言ってる小学生と同じノリだと思って貰えば、その異質さが分かると思う。

中学校に上がると非行はエスカレートし、他校に乗り込んでヤンキーのカシラ的存在をボコボコにする荒れた日々を送っていたそうだ。
私が一番笑ったのが、当時学校で一番強いヤンキーが代表して出席する「幹部会」なるものが駅で行われていて、mzfkさんもそこに出席していたという話。
メッチャ時代を感じるし、集まったからって何を話すのか見当も付かないので普通に笑った。

ちなみに中3の頃の写真を見せてもらったが、アフロヘアーにくわえタバコ、バリバリにメンチを切り、カメラに向かって中指を立てているものだった。

mzfkさんは爆笑しながら、「だいぶパンチ効いとるやろ」と言っていた。私も爆笑した。

 

・大人になり

そんな荒れたmzfkさんだったが、メチャクチャ和むエピソードが1つある。

彼は中学を卒業する頃、付き合っていた女の子が居たらしい。
もともと高校なんて行かねーと考えて居たらしいが、その子が進学すると聞いて近くの高校に入学することを決めたそうだ。
そんで帰り道とかにその子の学校まで行って、一緒に帰ったりしていたらしい。

私はそれを聞いた時、「男かよ」と思った。カッコよすぎるやろ。
平気で人の顔面にパンチ食らわすような人が、ある面では好きな子の為に尽力する。
モテる人ってこうなんだなとしみじみ思った。

ちなみに入学から2週間後、ムカつく奴をシメた結果退学になったそうだ。
如何に己の道を貫き通しているかが分かる。

それからいろんな仕事を経験し、22歳でアパレル系の店を立ち上げた。
このお店は今でも地元にあり、知る人ぞ知る名店だそうだ。
一度店の前まで行ったことはあったが、なんかスッゲェ怖くて入るのは辞めた。

クソダサ眼鏡野郎が入店して店の評判が落ちても困るしな。

 

・迷言

マザファカさんは自分の生き方がこうであることを知っているし、また実践している。
億千万の日本人が望んで止まない、一過性の個性ではない「確固たる自分」を持っている。
だからこそ放たれる迷言もまた、他とは一線を画している。

「(パトロール中のパトカーに中指を立てながら)俺は昔からFu○k・the・policeで生きてきた」

「俺は国にFu○kしている」

「(助手席に座る私にいきなり水平チョップをかました後)あぁ〜お前も暇人やなぁ。欲しがりすぎ、Bit○hみてぇな奴やな」

普通に生きてたら、せいぜいドラマとか映画でしか聞けないようなセリフがバンバン出てくる。特に「俺は国にFuckしている」には爆笑した。今では私の大好きなフレーズの一つになっている。
「あぁ、していいんだ。国にFu○k、していいんだ」って感じで、心にグッと余裕ができた気がする。

 

・総括

正直、mzfkさんは怖い人だ。目も眩むような闇を背中に背負い込んでいる。
見た目は気のいいあんちゃんみたいだが、何しろ目が完全に据わっているので不気味な印象を受ける。
でも、彼は本当に誰とでもすぐに打ちける。コミュ力がカンストしているのだ。
始めて立ち寄った定食屋のバァちゃんといきなりタメ口でしゃべり始めるくらいにはカンストしている。
だから、すげぇ怖い人なのに、たくさんの人から好かれる。受けた恩は絶対に裏切らないし、たとえ私のようなカスでも一人の男として扱ってくれるからだ。

それを裏付けるかのように、彼の結婚式に参加した時は「これ人入んの?」ってぐらい客が来ていた。控えめに言っても100人は居た。
その後、二次会では300人規模になってドンチャン騒ぎしたらしく、私は自分の持つ生命エネルギーが彼の100分の1にも満たない事を悟って悲しくなった。

 

彼は言う。「楽しめ」と。
彼は何か行動を起こすとき、そこに大義は求めない。
ただ自分がどう思うか。どう感じるか。
これは、生半可に生きてきたのでは得られない、絶対的な自信に裏打ちされてるから出来ることだ。
彼は自分を隠さないし、また相手の隠し事も暴く。

本当のカッコよさとは、それにこそ宿るのだろうと思う。