吉村昭 – 『破船』

吉村昭『破船』を読んだ。
彼の作品は何作も読んでいるが、久々に心を震わされる名作に出会った。

 

※※※以下ネタバレ※※※

 

・あらすじ(※引用元: Amazon 破船(新潮文庫
二冬続きの船の訪れに、村じゅうが沸いた。しかし、積荷はほとんどなく、中の者たちはすべて死に絶えていた。骸が着けていた揃いの赤い服を分配後まもなく、村を恐ろしい出来事が襲う……。嵐の夜、浜で火を焚き、近づく船を坐礁させ、その積荷を奪い取る――僻地の貧しい漁村に伝わる、サバイバルのための異様な風習“お船様”が招いた、悪夢のような災厄を描く、異色の長編小説。

吉村昭の小説は、もう何冊も読んでいる。頭ん中はファンタジー寄りの僕だけど、なぜか彼の淡々とした文体と冷徹な視線に惹かれる。なぜだろう。

この『破船』もまた、吉村昭らしく史実を元にされている。とはいえ特定の事件や事故を扱ったものではなく、あくまでも当時日本全国で確認されていたらしいある種の悲劇にスポットを当てている。

あらすじにもある通り、舞台は僻地の貧しい漁村。村人たちは慣習の中に身を置き、日々身を粉にして働いている。その描写の随所からは、あかぎれにも似た痛々しさととげとげしさが感じられる。
漁も出来ず、ただ耐え凌ぐしかない厳寒の冬は、しかしまた彼らの望むところでもある。

暴風の日を狙って、彼らは塩焼きと呼ばれる仕事に従事する。それはすべて、『お船様』を呼び寄せるためだ。
荒れ狂う海を航海する商船は、塩焼きの灯を人家の明かりと認め、船を停泊させるため浜に近づいてくる。すると岩礁にぶち当たり、破船する。
村人たちは破船した船に蟻のように群がり、生き残りの水主(かこ)をブチ殺してその荷を奪う。
荷には、普段村人たちが決して口にできない米や醤油、煙草なんかがふんだんに積まれていて、船のでかさにもよるが一回の破船で数年は食うに困らぬ生活を送ることができる。

これが、この村の悲しく不気味な風習、『お船様』である。
村人たちは冬になると、身ごもった女性を使った呪術まがいの儀式を行い、『お船様』の到来を願う。冗談抜きで、『お船様』が来るかどうかで、村の経済状況は一変する。働き盛りの父が年季奉行に売られることも、可愛い盛りの15歳の女子が売られたりすることもない。

この小説を支配している雰囲気は、おどろおどろしく暗澹とした、潮の気配。生きるためだけに作られた慣習の中に身を置き、ひたすら働きながら破船を待つ村人たちの営みの悲しさ、不気味さ。

序盤、妻を3年の年季奉行で売った吉蔵という男の話がされる。
彼は妻が奉行のあいだに浮気したにちがいないと決めつけ、ことあるごとに妻を殴ったりなじったりする。
そして中盤、妻は吉蔵の暴力の耐えかねて首吊り自殺する。それを見た吉蔵は翌日、崖から投身自殺する。

このひとつのどうしようもなく悲しいエピソードをさらりと書いて村の一要素としてしまう吉村昭の器用さにはマジでびびる。吉蔵が首吊りした妻を抱きしめ、嗚咽を漏らしながら長い間泣き続けるシーンは、胸に刺さった。
つまり、この村は、そういう村。

中盤、待ちに待った『お船様』が到来し、村の食物は潤沢になる。
前半とは打って変わってお祭りのようなムードが村全体を包む。この辺の対比も秀逸で素晴らしかった。
暗澹とした湿っぽい潮の香りが、恵みをもたらす磯のかぐわしい香りに変わるようだった。いや、実際、海は『お船様』をもたらしてくれたのだから、そう表現してもおかしいことじゃない。
実際、村人たちも『お船様』は海からの恵みものだと考えている。塩焼きして自分たちで引き寄せたくせに。偶発的に起こることだから、自然のものと考えて差し支えないみたいな感じなんだろうか。

そして終盤。赤い布を纏った奇妙な死体を載せたぼろ船が破船する。彼らの村では赤い布すら貴重だったので、彼らは喜々としてそれをはぎ取って着物に加工する。
しかし、その赤い布を纏った死体は皆、天然痘の感染者であり、どこかから追放された者たちだった。
数日して、村中に感染が広がる。ひどい発熱と発疹に苦しみ、死者も出る。
主人公の伊作は病に罹らず済んだが、幼い妹は死に、弟は病がもとで失明、母も感染して顔はあばただらけの醜い姿になってしまう。
そして村長から『感染者は山中に没せ』というお達しが出て、皆その通りにする。ただ一人残され、途方に暮れる伊作。

そしてこの小説は、年季奉行に売られていた故何も知らぬ父が帰還するところで終わる。

この小説はラストシーンが特に胸に刺さった。伊作はまだ12歳の少年で、大人に混じって漁に出たりしてはいるがそこまでの分別はないだろう。と思う。
そんな彼が、いきなり家族を全部失って、たった一人で、何も知らない父を迎えなければいけない。その途方もない悲劇。形容する言葉が見つからない、ある種根源的な悲劇。

人をブチ殺してその荷を奪い、徹底的に秘匿する。何が彼らをそうさせるのか。
吉村昭はどちらかといえば『死』について書くことが多いけど、この作品は珍しく『生』とその営みについて書かれている。
ただ、彼の思想ではどうやら、生というものは苛烈なものらしい。この小説にも『死』という概念は出てくるけど、それはとても甘美なものだった。

飽食の時代に読むにはぴったりだったかもしれない。日々なまぬるく生きている僕にとって、この小説はみぞおちパンチみたいにジワジワくる。