dddoyoubi

端的に言って元気がない。昨晩Tumblrに意味不明な動画をブチ込んだ人間が、同じ頭で「元気がない」と言っても説得力に欠けるかもしれないが、憔悴に個性が無いと誰が決めただろう。これは僕なりの憔悴である。
近頃は枕元にリルケの書簡集を置いて、三十分ほど読んでから寝るようにしている。生を根底から肯定するような力強い思想の脈動が、血に沁み夢に沁み朝の活力になっている。生きてゆくことは、とても辛いことだ。
昨日の夕立が夏を流してしまったようで、街にはもう陽炎の姿はない。路地裏のべとべとした愛憎劇もない。夏から秋にかけての清洌な時間が、膨張と縮小を繰り返す乳児の肺のように静かに呼吸している。たそがれるにはいい季節だ。
キャンプが済んでから、退屈がすぐ手で掴めそうな質量を持ってどこへでも付いてくる。なんとはなしに無気力で、夢想ばかりしている。ペンキを塗りながら思いついた文節を気に入り、忘れ、たまに思い出し、ベスパに乗りながら、高架下の梁にフジツボみたいに張り付いて離れない大量の金属ボルトなんかを見るともなしに眺めたりしている。人間、所詮、力技だ。馬鹿でかい金属の塊を、阿保みたいな火力で無理やり飛ばすしか、この星を脱する方法がない人間たち。夜毎世辞の街。面白いことはひとつもない。

帰宅してからは家の前でバーベキューをした。鳥串を焼き、こんもりしたマッシュルームと蛸のアヒージョを作り、メスティンで米を炊いた。何より奥さんが幸せそうにしていたのでそれで満足だった。食から福を得るということが、僕は未だに理解できないでいる。いつかできるようになるだろうか。

コーポ港鼠に文章が届いたので、「受函」の項を作成した。加えて、共通性を持たせるために、「投書」の項を「投函」に改めた。theo_kanemaru以外のユーザーの投稿がtwitterに連携されないバグを直した。仕事があるのはいいことだ。自分の始めたことが呼吸しているのを感じるのは幸せなことだ。今はとりあえずこれでいい。今心にある凪を無理にかき乱してはいけない。感じるがままに夏を明け渡し、秋の空気で肺を満たそう。さあ。秋だ。