seikatsu

生活に規定された日々を送っている。ある意味では喜ばしいことなんだろうけど、とにかく退屈で退屈で仕方がない。これでも工夫は怠ってないと思うんだけど。地元の友達を5人くらい集めて、リアル・ドキュメンタルを開催したい。参加費一万円くらいで。頑張って優勝してその金でPS5を買いたい。抽選当たってすらないけど。

退屈っていうのは見ようによっては余白と考えることもできるけれど、余白が多すぎたらどうなるかというと、それはもうコンテンツの圧迫であって、見栄えのしないデザインであって、ワンポイントの入った白Tであって。もうそろそろ冬だというのに、白T着てる場合じゃないよ。そういえば今年は大雪だそうだ。

みんながどうやって退屈を凌いでいるのか知りたい。まあ、手っ取り早いところではYoutubeとか映画とか読書とかゲームとかそのへんか。でもコンテンツをグダグダ消費し続けてると、本当マジでいい加減にしよう、みたいな気分になってくるのも事実。やっぱり自分で何かを作るのが一番良い。それを続けられる根気があればもっと良い。

自家現像のお許しを妻から貰った。なんかなあ、別にいいけど、趣味をやるのに誰かの許可が要るっていうのが、そもそも余白の暴力だと思う。美術館とかでいうところの、人が通る動線みたいのが人間生活の中にもあって、そこに展示物を据えてはいけませんよと。金色のクソみたいなポールと、朱色のうねうねしたゴツいロープで囲われたその内側にだけ、展示物を据えてくださいよと。それ以外はルール違反ですよ、分かっていますか、と、誰に言われたわけでもないけど、そういう風にして道を決められて歩いている気がする。それが冒頭の、生活に規定された、という意味だけど。要するに窮屈で退屈。そんなおれは偏屈。