二十七

27の歳になった。
春と冬が上空でせめぎ合いを繰り返しているのだとしたら、今日は冬に軍配。首筋から入り込んで体の隅々をまんべんなく冷やしていく冷気を体温で溶かし、一斗缶にローラーを突っ込んでしごきもせずたっぷりのペンキを塗って過ごした。今日がおれの誕生日であるということは世界にとってもおれにとってもあまり重要なことではなくて、でもお祝いのコメントをくれた人には礼を言いたい。生活の連続は日々一片一片の総体かな。過去の総体、未来の総体が今のおれを形成している。

28年前のおれはまだオタマジャクシみてえにチンケな生物で、父親の玉(ぎょく)の中に棲んでいた。それが時を経てここで日記を書いている。あの頃の生物と今のおれが連続体である実感は全くないけれど、いろいろなものがそれを証明するから信じるしかない。もし僅差で他のオタマジャクシもどきに受精を譲っていたら、すこぶる優秀な奴が産まれていたかもしれないと考えると楽しい。そこに世界の不条理があって、人はそれを愛さずにいられない。特におれみたいなのはな。

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妻に秋吉を予約してもらい、仕事帰りにそのまま向かった。串カツ、ねぎま、しんぞう、すなぎも、タン、シロ、ししとう、を休みなく次々に食らい、コーラで口内を洗って最後は焼きおにぎりと赤だしでシメた。うまかった。こういう大衆向けのチェーン店で溜飲を下げるという行為、そしてその行為そのものに対する充足感、その充足感を体の隅々に至るまで意識するところ、におれと妻の幸福がある。「これで十分、これ以上はない」と言えるだけの教養。ガキの頃は「ツマラン」と言っていたかもしれないいろいろなことが、今のおれにとっては大切だったりする。

これからどうしていこうかという懸念はある。おれは未だに「何者か」への夢を持ち続けていて、でもそのことを恥じるつもりはない。今になって思うのは、「何者か」になるために稲妻のような日を求める必要はない。生活から得られる印象を丁寧に救いあげて、それをしみじみ形にする。それで良い。冴えない男が劣等感を糧にしたところで、人と違うことをやって悦に入るのが関の山。おれはそういう奴はたくさん見てきたし、これからもたくさん見るだろう。

ハッピーバースデートゥーミー。27歳おめでとう。