妻を抱く

たとえ親しい間柄でも、人に期待すんのそろそろやめてみっか、と3日ぐらい前に思って、今、あのときの心情を検証する段階に入っている。そんなことを思った時から、おれは自分がその考えを即座に唾棄するつもりでいることに気付いていたし、拗ねて暮らすつもりもない。いろいろ考えた挙句、とりあえずTumblrのアプリを消した。無限に時間を食われるのは良くない。それと何度も言うけどブログの方を使わないとサーバー代が勿体ない。

今現在おれが入っている現場は大手ゼネコン特有のクソ突貫工事の例に漏れず、工期が短い。人員の補強が望めないなら、一人一人の働く時間を延ばしてゴリ押すしか対策のしようが無く、結果としておれを含む数人が休日返上を余儀なくされた。おれは別にそのこと自体はうすうす勘づいて覚悟していたし、だいたい、おれよりも職長として働いているOさんのほうがよっぽどキツいんだから、おれみたいなのをアテにして声をかけてくれるならその方がよっぽど嬉しい、という気持ちで、もともと入っていた予定を蹴って日曜の出勤を快諾した。そのことを鼻にかけるつもりはないし、何か貸しをつくったと思われても良くない。だから極力機嫌良くして、おれはなんにも気にしてませんよ、とにかくがんばって終わらせましょう、みたいな顔で接することを心がけた。胡散臭いし、偽善っぽいけど、それはそう思う人間の心が穢れてるだけであって、おれは自分の気持ちに正直に従ったまでである。
問題はYの方で、こいつ一度は休日出勤を認めたくせにその日が近づくにつれてダリィだのあーでもねぇこーでもねぇだの文句を垂れるわ、露骨に態度に出してくるわの、ガキみたいな所業を繰り返している。おれは別にぜんぶ無視しても構わんのだけど、無視できない間柄だからよけい悔しく、そんな姿を人に見せても平気だと思っているそいつの精神年齢にガッカリさせられた。おれが何より一番悲しかったのは、「いや、Oさんが気の毒やろ」とおれが言った際、吐き捨てるように「関係ねえし」と言ったことだった。いくら拗ねてて機嫌が悪かったとはいえ、今まさに自分が関係している仕事を関係ないといって自分の身を優先するだらしなさに、心臓が凍るような思いがした。一番問題なのは、休日を返上するおれの姿を、どこか信じられないといった面持ちで眺めるその姿勢。怠惰をきわめた挙句、視野が狭くなっていって、そういう人間が本当にいるということを想像もできなければ、信じることもできなくなっている状態。積極的に人間を信じよう、期待しよう、そう思って生きているおれにとって、親友が「その他大勢の」取るに足らない俗物に過ぎなかったという事実は、そこそこおれをへこませた。とはいえ、おれは別にYのことを蔑んでいるわけでも、期待しなくなったわけでもない。そもそも今までのおれの立居振る舞いを見ていれば、そういう聖人チックな行為もポーズと思われて仕方ない。でも、世の中には人を信じない人が多すぎるし、拗ねてる人も多すぎる。それは世間の潮流に逆らわないといった観点で見れば正しいと思うし、別にそういう暮らし方についておれは何も思わないけど、せめて、博愛の精神を持った人間は本当に居て、発揮の機会を伺っているのだということぐらいは、知っておいてほしいと思う。一生懸命街のゴミ拾いしてる人たちを「物好き」って呼ぶみたいな姿勢は、正直、セクシーでもなんでもない。どうせ分かり合えない者同士が、それでも分かり合おうと歩み寄るそれが、人間の営為の中でもとりわけ美しいものだとおれは思うし、そう信じている。

それ以外はマイクラをやったり、攻殻機動隊を見たりして過ごしている。Tumblrから離れて空いた時間はすべて読書にまわした。アンナ・カレーニナの3巻中途まで読み終えたところ。ニコライの死を経て、リョーヴィンとキティの田舎暮らしの章に突入した。いろいろ価値観はあるけれど、やはりおれはアンナやヴロンスキーやオブロンスキーみたいな人間は好きになれない。おれにしてみれば、恋なんてそんなに大事なものかよ、と思うし、それに人生を翻弄されまくってる人の心境もイマイチ掴めない。でも、そういう人生があることは決して否定しないし、かといって肯定もしない。みんな好き好きの方法で、おれの知らないところで勝手に幸せになってくれればそれでいい。