煙草と承認欲求について

僕にとって煙草を吸うというのは、何か自己表現のような気がしてならない。
「うわぁコイツ24にもなってこんなこと言ってるよ」と、世間様は言うだろうけど、でも今更巻き返しの効く人生でもないし、それに世間と自分は繋がってなんかいない。
汚れた煙を吸い込み、自分の臓器――これはかなり神聖なものだと僕は考えているけど、――に蓄え、また吐き出す。このどこにも合理性の無い一連の動きに、僕は何かしらの意味を与えようとしてきた。

人が煙草を吸い始める理由なんていうのは、ほぼ十中八九「かっこつけ」だろう。アイデンティティの確立に悩む10代の少年少女が、とりあえず外堀から攻めていこう的な感じで吸い始める。
ドストエフスキーの「地下室の手記」だったか、解説にこんなことが書かれていたのを覚えている。ぼんやりだけど。
『…世間一般から乖離した行為を通して、その人物は自分が間違いなく世界と接続されていることを認識する…』
つまり、あえてやっちゃいけないことをすることで、「今自分はやっちゃいけないことをやっている」と、認識できる。そうすることで逆説的に世間との繋がりを感じることができる。
可憐な10代の少年少女がこれをやっているというのは、なかなかどうして様になる。愛しい。それが僕の世界観。
僕が煙草を吸い始めたのも、そんな理由だった。だから一種の自己表現。吸うたびに世間から突き放される感じがしたけれど、でも突き放されたぶん「距離を感じる」ことができた。漠然とそういう感覚があった。
さみしかったり、暗い気持ちになったときほど、煙草を吸った。僕は世間との「距離」が恋しくてたまらなかった。知りたかった。触れたかった。

幻想的な感覚?

「わたしを離さないで」を読んだあと感動してカズオ・イシグロについて調べたら、彼がノーベル文学賞を受賞した理由が
『力強い感情の小説により世界とつながっているという幻想的な感覚にひそむ深淵をあらわにしている』
というもので、意味わからんすぎてちょっと笑った。
でも、そこから僕は「もしかして自分と世間は、どこまでいっても平行線のようなもので、関係ないんじゃなかろうか」と考え始めた。結論はまだ出ていない、というかそこまで深く考えていない。
世界観という土があって、その上にこうした思想のタネが撒かれたけれど、育て方が分からんしどんな実をつけるのかも分からん、みたいな。
世界とつながっている、から先の文章がぜんぜん頭に入ってこない。
幻想的な感覚っていうのは、もはやある人たちにとっては常識なのか。でもそこにひそむ深淵って何。
よくわからん。分からんけど、世界と自分は地繋がりじゃないということは、なんとなくわかる。

煙草を吸うことによって生じる世間との距離――が、幻想的な感覚だったというのは、論理ではとらえられないけど感覚では捉えられる。
むしろその距離というのがもはや幻であること、それを僕は承知していたような気がする。気がするだけで、当時はどう思ってたのか知らない。

認められること

おそらく多くの人は他人から認められることを欲している。
でも僕はこのことに関して、砂でも噛んだような居心地の悪さをずっと感じている。「人に認められたい」って何?
Aという人がBを認めたとして、じゃあBは実際どうなるのか。どうにもならない。喜びはするかもしれないけど、でもそれは本質に触れるものじゃない気がする。
言い方を変えてみよう。「認める」じゃなくて「受け容れる」と表現してみる。
ずいぶん分かりやすくなった。人は人に受け容れられることを、ほとんど本能的に欲している。
ヤリマンにどこか獣くさいものを感じるのは、こういうのがあるからだと思う。彼女らは純粋にセックスが好きなのかもしれないけど、それより前に自分の本能に忠実。もしくは理性がお粗末。
男に抱かれることが、イコール受け容れられていると考えるのは早計だと思うし、それにヤリマンの人たちはそのことを心の部分ではきちんと捉えていると思う。
「これは形式的なものだけど、今この瞬間だけは自分の肉体が必要とされている――」という、なんとも退廃的な感覚。体に悪そう。
ゆえに彼女らの精神はガリガリにやせ細り、目はどこか虚ろで、いつの間にか自分の本質を受け容れてくれる人はもういない、ってことになりがち。がちっていうか、そういう人はそこそこ見てきた。
だから僕は女性に生まれつくということそれ自体にすごいカルマを感じるし、多かれ少なかれこういうのは避けて通れん道だと思う。容姿端麗な子ならなおさら。クッソあったま悪っりぃ男どもの餌食になるし。

ここまで書くのに煙草を3本くらい消費した。僕はもう人に受け容れられたいなんてことは思わないし、それより今度は誰かを(本質的に)受け容れたいという気持ちにあふれている。

とはいえ人気なのは見た目がきれいな奴だし、あと中身ってのはほとんどどうでもいいというのが世間一般の解でしょう。みんな時間ないから、見た目で判断するしかない。

僕は死ぬまでにあと何人、人を受け容れられるんだろうか。

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