原罪

最近、衝撃的なニュースを見た。

競泳・池江璃花子選手が白血病 焦点は急性か慢性か どうなる東京オリンピック

池江璃花子選手については僕はぜんぜん知らないし興味もないけど(スポーツ全般興味ない)、18歳で白血病というのに驚かされた。というのも、僕の祖父も全く同じ病気で亡くなったからだ。

まぁ、正直気の毒過ぎて何て声を掛ければ良いのか分からないし、それに僕はこういうクソ不幸な(あくまでもクソ不幸というのは僕の主観)人に対してねぎらいの声を掛けるのが嫌い。ただそっと見守りたいし、それで十分だと思う。どうせ彼女の抱える絶望の数パーセントさえ、僕は理解できないんだから。言葉なんてのは無力です。

それで少し注目しながらこのニュースを追いかけていたんだけど、先日おや、と思う続報があった。
曰く、寄せられるたくさんの応援メッセージと共に、1歳の子が池江璃花子選手と同じ白血病に罹っている事を知らせる手紙が届いたというものだった。

池江璃花子、1歳の子どもが白血病で闘病「本当に大事なことを日々学んでいます」

僕は思う。「そんなん知らんし」。

1歳の子が白血病で苦しんでるからと言って、池江璃花子選手に一体何をもたらすというんだろう。わざわざ病床の身の人間にそんなことを知らせる意味が分からない。

この手紙を送った人は何がしたい?彼女を励ますためならば、もっとポジティブな言葉こそを贈るべきだろう。何いきなり自分の話してんの?

勝手なエゴで人の絶望を踏みにじっちゃいけない。
たとえ同じ病気に罹っていても、池江璃花子選手がどう感じているかは本人にしか分からない。
ただ「がんばって」というメッセージだけの方が、よっぽど気が利いてる。

土砂降りの中で傘も差さずに歩く人を見たら、まず傘に入れてあげることが先だろう。
なぜそこで自分も傘を捨てて「あなたと同じ!これで大丈夫大丈夫!」みてーなことを美徳とするんだろう。
体に叩きつける雨をどう感じるかは、その人その人によって違う。同じ境遇だから、同じ状況だからってその人の気持ちが分かるわけじゃない。そんなことは当たり前だと思う。
それをよく考えもせず、曲解したのか何なのか突然クソプライベートなことを手紙で送りつける神経というのが、僕にはぜんぜん分からない。

本当の優しさというのは、一度この世の無情を認めることから始まると思う。
つまり、池江璃花子選手が病気になろうとなんだろうと、僕には一切関係がないという事実を見据えること。

僕は苦しくないし死にもしない。

この無情から目を逸らして、誰かがパッケージングした優しさを振るうから気持ち悪いことになる。
彼女の絶望と僕の間には、何の関係もない。だから寄付とか手紙とか、そんなん別にする必要も義理もない。
それでもするのは何故か?そこまで考えてはじめて本当の優しさが分かるし、本当の優しさというのを実践できる。

努々忘れぬこと。僕と今この記事を読んでいるあなたは何の関係もない他人。僕が死のうとあなたには関係ないし、あなたが死のうと僕には関係ない。

それでも僕は書く。

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