一般化していくこと

僕はおそらく、中二病をずっと引きずっている。
心の根底に「一般人になりたくない」「人の知らないものを発見して愛でたい」というのがある。
ばっさり切ってしまう言い方をするならば、これは単なる現実逃避だと思う。何もする気が無くて、でもやる気があるように見せかけてはいて、それをさらにごまかすために、あるいは方向転換して無かったことにするために、僕は自分を狂人か何かに仕立て上げてきた。
だけど僕はもう25歳だし、いつまでもこういうカッコ悪いことをしていたくない。
だから考える。けれど、これもまた現実逃避の途方もない輪廻の一つだとしたらどうなるだろう。

一般人になりたくない

僕の考える一般人というのは、「誰かが規定したものに則てに生きる人」だと思っている。それがたとえ無意識的に行われているものであれ。
たとえば音楽。様々なアーティストが居るけれど、僕の目には彼ら彼女らの作る曲がどうにも「こう聞いてください」という雰囲気をまとっている気がしてならない。商業目的の曲なんかは特にそういうのが顕著だと思う。
「こう聞いてください」「はい、聞きました」この一連の流れをそつなく、丁寧にやっているのが一般人。
僕はこと、音楽に関してはメッセージ性のあるものとか啓蒙的なものが嫌いだ。あと恋愛系も全部嫌い。虫唾が走るとまでは言わないけど、好きとか会いたいとか切ないとか、それって色で言うところの白みたいなもんじゃないのと考えてる。つまり、あって当然というか、何かを付け足していくこと前提というか。
音楽はただ音楽を表現してればそれでいい。「お前らはそれでいいのか」みたいな啓蒙的なメッセージもクソだるい。そういうのが欲しかったら読書したほうがマシだと思う。
だから僕は「何も言っていない」音楽というのが好きだ。どうにも捉えられないそれを、捉えられないまま音楽に落とし込む。この芸術性よ。

話が逸れた。

一般人になりたくない、というのは、言い換えれば何かに突出していたいということだ。
しかし、と僕は思う。一般人になりたくないなんて、そう考える時点で、僕は実際のところ一般人でしかないのだと。
特筆することは何もなくて、それでも心のどこかでは「自分は何かに突出しているはずだ」と、根拠もなく思い続けている。冒頭でも言ったけど、これは単なる現実逃避に過ぎない。
自分が本当は何もできない、一般人以下とも言えない中途半端な、それこそ正真正銘「一般の人」であることを認めてしまったら、僕は心の拠り所を失ってしまう。用意されたものを説明書通りに淡々とこなす、クソ退屈な人生をあと50年、60年。
かといって死にたいとも思わないし、死ぬ勇気もない。奥さんが居て愛犬が居て先輩が居て友達が居て、何不自由ないこの日常に、少し安寧を見出してさえいる。
常に充実した不足を感じていたい。あれが足りないこれが足りない、そうしててんやわんやして、それが高じて「一般的じゃない」ことを無意識的に成し遂げられたら最高だ。
阿呆の戯言みたいになってきた。

人の知らないものを発見して愛でたい

マイナーなものを発見して、その良さに気付くとき、僕はある種の優越感を覚える。
僕は所謂マイノリティであり、マイノリティというのは「あえて」多数派と袖を分つ「識者」である、という調子こきすぎの前提が頭の中にあるからだと思う。
しかし僕は実際、マイノリティ同士のなっさけねぇなれ合いとかが、嫌いじゃないしむしろ好きな方だ。Tumblrで日夜繰り広げられていた傷の舐め合い、尾崎豊感あふれる世界観と、それを共有するごく少数の人々。
そうした「どうしようもなさ」、「弱さ」、「浅はかさ」を愛でたいという気持ちが、結構前から僕の中に存在している。

Tumblrも、ラジオも、こうしたブログも、自分の狭い視野の中で探した時にやってる人が居なかったからやっただけのことだ。勿論、興味はあったけど。
TwitterやInstagramには何の恨みもないけど、ただみんなやってるからやらない。それだけのこと。やったところでどうせ、波には乗れない。乗れないくせにハマるだろうから性質が悪い。僕はそういう人種。

人は結局、一人であるからして

人間は「つながり」を大切にする。大切にしてないとは言わせない。こうしてSNSが世界規模で発展した今、それは現実のものとして証明された。
でも人はたぶん、知っている。人は結局死ぬまで一人であるという事を。
お母さんから臍帯を切り離したとき、人は2つの意味で独立する。
1つ、生物として、1つ、人間として。
そこから約80年、人は一人で生きていく。それがどうしても耐えられなくて、手紙にしろ電話にしろSNSにしろ、何かしらで繋がろうと頑張ってきた。
74億人のひとかたまり、というよりは、個人が74億個と考えた方が良い。人はみんな個人単位で分割することが出来るし、総合的に見れば共有している部分の方が少ないかもしれない。
いろんな要素を1つ1つ取り上げて吟味して、「ウーン、一般的!」とか「はい、マイノリティ」とか、そういうのはなんか、ばかくさくないか。

そしてこれは絶対秘密にしておいてほしいんだけど、僕だってたまにRADWIMPSを聞くことがあるんだ。

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