理性、ソウル、社会

最近……、というと、少し語弊があるかな?ぐらいの期間、考えていたことがある。

「みんな理性を万能なものだと思ってはいないか?」

「理性」について、私見を述べておこう。
僕の中での理性とは、ざっくり言って「火」。うわぁコイツ中二病かよ勘弁してくれって思った人は、すぐブラウザを閉じて熱いコーヒーでもすすってください。

人間は遥か昔、それこそ素っ裸でウホウホ言いながらマンモスをブチ殺していた時代、火を発見することによって急激な進化を遂げた。

初期のヒト属による火の利用 – Wikipedia

ヒトは火を調理に使い、暖を取り、獣から身を守るのに使い、それにより個体数を増やしていった。火を使った調理は、ヒトがタンパク質や炭水化物を摂取するのを容易にした。火により寒い夜間にも行動ができるようになり、あるいは寒冷地にも住めるようになり、ヒトを襲う獣から身を守れるようになった

これから分かるように、「火」は人間だけが使役しうる力である。火を使えるのは人間しかいない。
同じように、「理性」を持っているのも人間しかいない。ワンワンやネコちゃんやイノシシやカラスが理性を持っているとは到底考えられない。
上の文章でもあるように、「火」は調理や暖とり等の「創造」の側面と、獣を追っ払う「破壊」の側面を持っている。

僕は、この二面性の中に「理性」を見た。
理性は火と同じくとても便利である。人の暮らしをより良くし、人が人として生きていくための根幹を支えている。
だが、理性が火と同一なのであれば、それはまた「破壊」の側面を持っていることになる。
火が創造できるのは「文化」、理性が創造できるのも「文化」である。じゃあ、破壊できるものは……?「文化」である。

今の世の中をすごくざっくり見たとき、「あぁみんな理性が暴走しているな、焼き尽くしてるな」と思う。
分かりやすく例を挙げてみよう。

マタニティマークをつけない理由 「つけると危険」との声も

これなんかいいんじゃねぇか。

まず、マタニティマーク、これは言わずもがな理性が生み出したものだ。

妊婦さんは普通の人より生活が制限される、それをみんな理解しよう、意思表示としてマタニティマークを付けよう、それを見たら思いやりの心でもって接しよう。

この一連の流れがまさに理性の成せる技であり、僕はそれに感動する。人間万歳!素晴らしい!

しかし、この記事には

「妊婦が電車になんか乗るな!」と罵倒されたり、「席を譲れと言わんばかりで腹立たしい」などの声や、真偽のほどは不明ですが「明らかに故意にお腹を押された」、「お腹を蹴られた」などの話もネット上では確認でき、残念ながら「妊婦への嫌がらせ」が存在しています。

このようなことが書かれている。

「妊婦が電車になんか乗るな」というのは、やはり正しいと言わざるを得ない。僕自身そんなこと1ミリも思わないが、「1+1=2」と正しく決められた理性の世界で解釈するのであれば、これ以上に正しい答えは無い。
僕はほとんど電車に乗ったことが無いから知らないけど、電車に乗る人の大多数は普通の人だろうし、民主主義国家である以上「多数派」の意見を何よりまず優先すべきという理屈は正しい。

だがここには思わぬ落とし穴があって……つまり、人間は自分たちの力で培った文化を、同じ力でブチ壊しているという点だ。

何故か?僕は、人間が「ソウル」(かっこいいのでこう書く)にあまりに無頓着すぎるというところに問題があると思う。
たとえばワンワンを見てみると、彼らは良くも悪くもメチャクチャ素直である。腹が減ったらメシを食うし、遊んでほしかったら何のひねりもなくそう伝えてくるし、眠かったら寝る。
彼ら動物は「素直以外の方法を知らない」のであって、言い換えればソウルがむき出しの状態になっている。
人間は理性という非常にお役立ちなものを獲得したが故に、それが自分たちの本質であると勘違いしてしまっている。

人間の本質はほかの動物たちと何も変わらない、「ソウル」であるし、そうあるべきだと思う。

話を冒頭に戻そう。

「みんな理性を万能なものだと思ってはいないか?」

僕は、理性を高らかに掲げて得意げになっている人はすべて「頭が悪い」と思っている。たとえ他人から見て白痴のように見えても、自分のソウルを知っている、感じている人はみな「頭が良い」。

次はソウルについての私見を述べておこう。

ソウルとは、魂。人間の営みの原則となる、あるいはなるべきもの。
生命維持に不可欠な3大欲求はもちろん、人が人として社会の中で生きるにあたって、純粋に「こうしたい、こうなりたい」というすべての欲求。

僕は性善説を信じている。みんな、それこそどんなクソ野郎でも、胸中ではいい奴になりたいと願っている。もっと人に優しくなりたいと願っている。
でも理性がそれをさせない。させないからこそ人間が人間足り得るので、僕がプロのスポーツ選手からどこか動物くささを感じるのはこれに起因していると思う。

単なる好き、嫌いにいちいち理屈を補足したり、自分の腕試しか何か知らんけどネットで他者を必要以上に叩きまくったり、とにかください。ダサいし頭が悪い。
みんなソウルを忘れている。もしくは、そんなものに価値は無いと決め込んでいるのか。
どちらにせよ、僕の目には今の社会が気持ち悪く映っている。でもたぶん、これが人間の自然な進化の過程なんだろうなとも思う。
僕のような人間が所謂絶滅危惧種の「ダイナソー」であり、理性を掲げソウルを投げ打った人が次世代を代表する「フレイムマン」なんだろう。

理性の行く末なんてたかが知れてる。
いつか壁にぶち当たって、そこで人は途方に暮れる。暮れてりゃいいさ。

見えないものをこそ、捉えられないものをこそ、絶対的でないものこそ、僕は愛したい。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA