結婚生活について

僕は結婚している。妻帯者だ。子供はまだ居ない。
19の時に今の奥さんと知り合って、22歳の時に結婚した。
結婚それ自体が悪のように言われる時代、22歳での結婚に踏み切ったのには深いワケが……あるはずもなく、ごく自然な流れだった。
結婚生活を送ってはや3年、気付いたことがたくさんあるので、自分の頭の中を整理する意味合いも含め、ここに書き記しておきたいと思う。

夫婦の形

僕は、奥さんのことを「嫁」とは思っていない。
だから当然、家事をしてもらって当たり前だとも思わない。それは、彼女が自発的に、僕のためを思ってやってくれてるありがたいことだと常々思っている。
「夫婦」と聞くと、二人三脚だの二人で一つだの、クソやかましい言葉が方々から飛んできそうだけど、僕はそうは思わない。夫婦というのは、単に他人同士。独立した個人。それ以上でも以下でもないと思っている。
「夫」「妻」というのは、便宜上の呼称であって、別にそれがその人の肩書であるわけじゃない。細分化していけば、人は「人であること」、もっと言えば「自分自身であること」以外の何の肩書も持ってはいない。
恋愛感情なんていうものは、はじめの3年~5年のうちに消えてなくなる。セックスだって「子供をつくるため」になる。それは当然の成り行きだと思う。
僕は別にニヒリストじゃないけど、他人同士なんて1万年一緒に居たって分かり合えるものじゃない。ましてや男と女なんて、人類誕生から今に至るまで分かり合えてない。
僕だって奥さんの価値観の10パーセントも理解できないけれど、だからこそ尊敬できる部分はたくさんある。向こうがどう思ってるか、それは確かめようがないけど。

結婚した当時、「早いね」とか、「もったいない」とか言ってくる人がたくさんいたけれど、僕はなんとも思わなかった。
そもそも、「結婚」という行為を、「落ち着きどころ」みたいに考えている時点でナンセンスだと思う。妻帯者、または夫、専業主婦、そうした肩書をゲットするためだけに結婚を選ぶのなら、大卒という肩書をゲットするためだけにFラン大学に通ってパチンコ屋に入り浸っている大学生とレベルが変わらない。お粗末すぎる。

ちょっと脱線した。「夫婦の形」に話を戻そう。

僕はざっくり言って、奥さんを「親友」だと思っている。恋仲でもない、使役する嫁でもない、ただただ対等な、それも仲の良い関係。するとなれば、「親友」あたりが妥当だろうと思っている。
きっと奥さんもそう思っているはずで、これがとりあえずのところ僕たちの「夫婦の形」になっている。互いを尊重し合い、認め、一緒に生活していく。ただこれだけ。なかなか良いもんだなと思う。
僕としても、「あの時結婚を渋っていればもっと良い人に巡り合えたかもしれない」ということは、人並みに検討してみたことはある。しかし、いつも決まって「自分の選択が一番正しいのさ」という結論に至る。語弊を生まないように付け足しておくが、別に僕は自惚れているわけではない。ただ、平均値をアテにしていないだけだ。世間一般の人が言うことなんて、7割ぐらいはノイズだと思ってるから。つまり、この記事だって誰かにとってはノイズでしかない。

類は友を呼ぶ

一回の失敗が人生の終焉に直結すると思い込んでいる人からすれば、結婚というのは非常にリスキーと言えるだろう。合わなければ離婚、離婚すればバツイチという「烙印」が押される。それは清潔じゃないから、何か生きていて申し訳ないような感じがする。それは分からんでもない。
かといって、いい歳して結婚しないのも変な感じがする。それだって分からなくはない。
でも、僕が思うに、結婚というのは「最適な相手を見つけ出す」ことではなく、「自然の成り行きで、出会うべき人と出会う」ことだと思う。
出会うべき人というのは、自分自身の生き方に責任を持って生きていれば自ずと出会えるものだと思う。弱い自分、クズな自分、嫌な自分、そういう苦渋を飲み干して、これが自分、これでも自分なんだと認め、受け容れ、前を向けたときにはじめて、人は自分の「魂」に気付くことが出来る。そしたら必ず良い人に出会えると思う。僕もきっと、自分自身から目を背け続けていたら、奥さんと一緒になることは叶わなかっただろうから。

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