未成年の自殺志願者について

未成年の自殺死亡率最悪…親子関係や進路に悩み

記事によれば、2018年時点での年間自殺者数は2万840人。365で割ると、一日57人もの人が自殺している計算になる。
このうち、19歳以下の自殺者数は599人。1日平均1人~2人が自殺していることになる。

厚生労働省は、若年者に対する自殺対策として、昨年からSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)での相談事業を始め、昨年度は延べ2万2725件の相談があった。相談者は19歳以下の未成年(43・9%)が最も多く、女性が92・1%を占めた。相談内容は「メンタル不調」「自殺念慮」「家族」などが多かった。

自殺した人について考えるとき、「そうするしかなかったのか」といつも思う。それがその人の下した最適解なのであれば、僕や他の人にそれを止める権利がどこにあろう。
僕にとっての死というのは、黙ってても必ず来るもの、生の一部、というような感じ。生まれた瞬間から死ぬことが決まっているのなら、それはもう生の一部とはいえないだろうか。

自殺というのは、自分で死ぬことを選んだというよりも、追い詰められたという方がニュアンス的に正しいと思う。じゃあ何に追い詰められたのかというと、理性である。自分を殺すことができるのは、自分しかいないのであって、自分を追いつめた理性もまた、自分の中にあるものに違いない。
でも、その理性というのは、あくまでも拾いものでしかない。みんなそう言ってるから、そういう雰囲気があるから、という理由で、みんなスナック感覚で理性をもりもり摂取していく。結果、頭でっかちとなり、何も経験していないのにすでに経験済みであるかのような錯覚を覚える。
そうなれば生活のすべてが無味乾燥となり、何に触れても感動しなくなる。合理的な判断ばかり繰り返していると感受性が死に、何かを好いたり嫌ったりするのにもいちいち理由が必要になる。
そして、ある日突然、「自分が生きている合理的な理由は何だろう」とか考えだしてしまう。生きてることの意味、それを理性のパワーでもって解決しようとする。そして、死ぬ。

たとえば満点の青空の美しさを数式にせよと言われても、そんなのは無理に決まっている。せいぜい詩なりなんなりで表現するしかないが、その詩にしたって読む人にとって受け取り方が違うわけで、しかも、もしかしたらそんなものに価値は全く無いかもしれないわけで。

僕は自殺したいと考えたことが無いから、今絶望の淵に立っている人からすれば、こうした文章はなんとも不愉快な、ハイハイいいね恵まれてて、強いね偉いねと思うかもしれない。でも、一つ決定的なことがある。
それは、誰が死のうと赤の他人にとっては全く興味が無いということだ。あるところで女子高生が自殺して、またある人がそれを知ったとしても、その人はそんなことより今落とせそうな女の子のことで頭がいっぱいのはずだ。
どれだけ絶望して、この世に呪詛を残して、スネて、なにもかもブチ壊したいと望みながら死んでも、それを他人が知る由は無い。遺書に書いても同じことだ。だから僕は、生きてたほうがずっと得だと思う。

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