モテたい男はクズになれ

この世には紛うことなき一つの真理がある。それは、「クソな男ほどモテる」である。

女性は常々「かっこよくなくても」「優しくて」「自分を一番に考えてくれて」「自分の身を捧げられる」男をこそ欲している。しかしその実、女性たちはここに列挙した特徴と真逆の男に振り回されていることがほとんどである。
すなわち、「そこそこイケメンで」「常習的に自分を傷付け」「すぐ裏切り」「安心して仕事にも行けない」男をこそ、彼女たちは愛するのである。

何故か?僕はこのことに非常に興味がある。だからこの度考察することにした。

※無論、この考察はテオ・金丸個人の思想です。よって、非常に独特かつ偏屈なところがあります。別の思想をお持ちの方は是非とも語り合いましょう。

そもそも恋愛ではなかった

常に飄々としていて、何かあれば女性を傷つけ、裏切る。そういう男はすべからく「罰」の性質を持っている。これが女性を狂わせる要因である。
クソ男を好む女性に共通する点として、「自己評価の低さ」が挙げられる。彼女たちはたとえ容姿が素晴らしくても、自分で自分のことを認めることが出来ない。自分のことを好きになれないのである。
そればかりか、「自分は悪い子だ」と思い込んですらいる(その理由については、こちらの記事を参考にして頂きたい)。
女性のこうした心理は、無意識的に「罰」を求める方向に向かう。「自分は悪い子なのだから、罰せられなければならない」という考えになり、露骨な「罰」を与えてくるクソ男にメロメロになるのである。
無論、クソ男はクソ男で、「罰」を与えている自覚は無い。罰が自分にとって有益な心理状態を産み出すものだという打算は無く、ただ傍若無人に振る舞っているだけである。それが、女性の心理というフィルターを介した時、世にも甘美な「罰」として作用するのである。この甘美な罰を受けると、女性はたちまち陶酔し、自分の中に安心感を見出す。
あまつさえ、「この罰は私を愛している証拠だ」と受け止めてしまう女性も大勢いる。しかし、僕が思うにそうした一連の営みは「恋愛」ではない。男女の駆け引きもクソもなく、あるのは単に女性側の自己満足だけである。女性たちはクソ男に「惚れている」のではなく、ただ贖罪のためにクソ男に身と心を捧げるのである。

そして依存へ

クソ男は罰を「使役」するのではない。あくまでもクソ男は傍若無人に生活しているだけであり、その行為を罰たらしめるのはむしろ女性側である。
これが何を意味するかというと、クソ男にハマる女性はほぼ例外なく、そのクソ男に依存してしまうのである。
「自分は悪い子だ」という洗脳が解けない限り、「正しく」罰を与えてくれるクソ男から離れることができない。そして厄介なことに、女性側はこれを「恋愛」と呼ぶから、クソ男に一方的に捨てられたりすると「失恋」だと思い込む。このすり替えは実に巧妙で、自分自身でも気付くことが出来ない。本当は、クソ男と別れられたのならばそれは喜ぶべきことなのである。
そして、こうした女性はほぼ例外なく、途切れなく彼氏を作る。
男というのは馬鹿なもので、隣に女性が居さえすればそれでハクが付くと思っているから、女性側がちょっと努力をすればクソ男を引っ掛けるくらいは造作もないことである。こうして色々な厄介が実に見事にカチリと嵌まり、混沌を産み出す。
クソ男を求める女性にとって、「男」とは一義的なものである。単に罰を与えてくれる装置のような役目しか持たない。代わり映えするとすれば、罰の種類が変わるのみであって、それがつまり「個人」の意味を持つ。しかしそれは、単に罰の種類が個人という仮面を被っているに過ぎない。いや、無論、仮面を被せるのは女性自身であるが。

クソ男への依存は非常に強い。それは自分の存在と直につながっているからである。
「罰」があるから「罪」がある。それは光と影のように、決して切り離せないものである。故に、自己評価が低く、男が居なければ自分の存在を認知できない女性は、往々にして引くぐらい精神を病む。これがいわゆる「メンヘラ」である(メンヘラといってもいろいろ居るが)。

自足した女性

自足した女性の場合、クソ男にハマることは少ない。もちろん、人間なんてどんな趣味を持っているか分からないから、趣味としてクソ男と一緒に居たいという人は居るだろう。が、自足した女性からすればクソ男というのは単にストレス製造機である。罰せられる理由も無いのに理不尽な攻撃を繰り返す馬鹿、という風にしか映らない。
とはいえ、はじめから自足した女性というのは少ないように思う。誰しも一度か二度はクソ男にハマり、そこで改めて考え、自足した女性へと成るのである。

クソ男について

クソ男というのは、自然発生的なものではないと僕は考えている。彼らもまた、ある意味では被害者と言う事も出来よう。
クソ男は環境が産んだ悲しき一個の男である。先天的なものを除き、男はみな心の底では女性を慈しみ、愛し、庇護したいと考えている。しかし彼らの育った環境が、それをさせないのである。
クソ男とそれにハマった女性の生活を見ていると、どことなく悲劇の匂いがする。それは、2人に「不幸」という共通点があるからであろう。悲しいことに、この世では、幸福よりも不幸の方が共感されやすく、また語りやすい。

僕の身近に居るクソ男は、共通して無気力だった。極力何もしたくなく、できればヒモとかになって暮らしたい。まぁ、よくいるタイプである。しかし不思議とよくモテた。それは彼らが「罰」の性質を持ち、「不幸」のマントを羽織っていたからであろう。

最後に身も蓋もないことを言って、とりあえずこの考察を終えるとする。

 

 

モテたい男はクズになれ!

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