仕事に情熱など持つべからず、論

僕は25年の人生の中で、真面目に仕事に取り組んだことが一度も無い。
当然、必要最低限の体裁を繕うことは厭わなかった。僕は仕事を単に飯のタネとしか考えていない。サラリーマンという名が示す通り、僕が信奉しているのは労働者に金を吐き出す会社のシステムに対してである。別に経営理念とかどうでもいい。そんなものは公園の鳩にでも食わせておけばよい。

こういうことを書くと、世間は眉を顰める。まぁ分からんでもない。そういうリアクションをしておかなければ、自分が狂人に見られてしまうのだから。そんな臆病者にはまったく興味がないが。せいぜい自分のためにならないことに時間とお金を使って、棺桶の中に入ってから本当の後悔に魂を震わせるが良い。

サラリーマンだ、サラリーマンなんだ

会社と言うのは、何の取り柄も才能も無い凡人が、人並みに金を稼ぐため合理的に組織化された団体である。だから社員1人1人にはやるべきことが決まっていて、基本的に管轄外のことはやらない。
だが、一部の人間は、自分の管轄を超え、より質の高い仕事を、より多くこなそうとする。もちろんその分の報酬は出ない。
僕が不気味に思うのは、そうしたことをやる本人が、報酬が出ないことを承知でやっているということである。そしてそこに何かしら自分なりの美徳を見つけ、半分自己満足で仕事の質を上げている。変態もいいとこである。
仕事なぞ6割か7割くらいの出来で仕上げて、仕事終わりは同僚と飲みに行くなり恋人と映画を見るなりして楽しめば良い。そちらが本当の人生なのであり、いわば仕事というのは自分をロボット化して脳死状態で業務を遂行しさえすればそれで文句は言われないのである。

こう書くと、「そうはいっても昇進したい」等と言う人があるかもしれない。だが、僕は言いたい。昇進とかそんなみみっちいことを言ってないで、たくさん金が欲しいなら自分で事業を興してみたらどうだろう?その才が無いから誰でもなれる会社員になったのであって、誰でもなれる楽な仕事に就く理由は、「楽だから」である。楽な方を望んで会社員になったのに、そこで昇進を目指して頑張るなど、お話にならない。増える給料は雀の涙のクセに、負わされる責任は大ときている。いい大人が、このへんの勘定を誤るなど世も末だと僕は思う。

要するに、「自分の仕事に自分のアイデンティティを置く奴」は総じて気持ち悪い。自分で興した事業であればまだしも、サラリーマンの身でこんなことをしているやつはやはりどっかがおかしい。仕事なぞやる気が出なくて当たり前だし、毎日毎日クソだるいと絶叫しながらタラタラやって金さえもらえればそれで良いのだ。もっとたくさんの金が欲しければ自分で商売をすれば良いし、その才が無いのであればとりあえず今の収入で閉口する他ない。もしくは、副業するとか。パソコンやスマホ一丁あれば月々小遣い程度のお金は稼げる便利な世の中なのだから、さしたる苦労は無いはずである。

会社というのは、クソやりたくもないつまらないことをさせられる代わりに、少々の金をもらい、オマケで社会保険や世間体などが手に入るお役立ち施設ぐらいの認識で良いと僕は思う。会社には「働きに行っている」のではなく、むしろ労働者側が会社を「体よく使っている」のが、健全な社会ではないかと思う。
ここで名言。『人生は、街にある』。

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