僕は天才、あなたも天才

僕はよく、自分のことを天才だとか、人より優れているといった言い方をする。
ではその証拠を見せてみろと言われれば、驚くほど何もない。学歴は中卒で、手取りは平均。顔もイケメンとは言えず、さりとて身長が高いわけでも、スタイルが良いわけでもない。RADWIMPSの『前前前世』を替え歌して、「父のチンチンチンポから僕は 世に爆誕したんだよ」とか言って一人で大笑いしている。こんな男は、天才云々よりむしろ精神病棟にブチ込むべき何かである。

僕ももう25歳になり、立派な「大人」の仲間入りを果たした。そろそろ、人様から何かを享受するのは自重して、人に何かを享受することを学ばなければいけない。
といってろくに学もない僕が、筋道立てて論理的に話を組み立てたてて説明してみたところで、最後には胡散臭い説法じみてくるのがオチだろうから、ここは素直に、たとえ論理が破たんしていたとしても、誰かにとって有益であろうと信じてこんな話をさせてもらう。

あなたは天才

まず、すべての人は、今すぐ自分を天才だと信じ込むべきである、と僕は考える。
こう言うと、即座に「そんな実績はありません」「自惚れるのは嫌です」とかなんとか尤もらしい返事が返ってくるが、僕に言わせてみれば、それは謙遜によく似た卑屈な精神そのものであったり、世間向きの体裁だけは向上心に溢れているといったクサい人種に他ならない。
自分のことを天才だと思い込むには、まずもって自己矛盾を抱え込む必要がある。矛盾を抱え込むなんてたいそれたことだと人は言うかもしれないが、それは大きな誤解である。
「自分は天才である」という認識には、確固たる事実が存在しない。あなたは自分を大ばか者だと思い込むことはできず、したがって天才だと思い込むこともできない。裏を返せば、あなたは即座に大ばか者に成り得るのだし、天才にだって成り得るのである。
確固たる事実が存在しないというのは、言い換えれば、自分を天才だと思い込むのに必要な材料は何一つないということである。あなたがどれだけ情けない人生を歩んでいようと、輝かしい経歴を持っていようと、そんなものは材料に成り得ない。こう考えると、なんだか心が非常に楽ではないだろうか。
多くの人は、つり橋を渡るにはそっと歩くのが鉄則だと頭から決め込んで、「自分は大ばか者だ」と思い込んで生活している。しかしそのつり橋が、実は案外頑丈なつくりだったとしたら、どうだろう。
自分を天才と仮定すること、大ばか者と仮定すること、その選択肢は世間や社会にあるのではなく、ただ自分の中にのみ存在している。まずそれを知ったうえで、自分を天才と仮定しておくのである。
はじめにこの自己矛盾を受け容れられない、知らないから、自分を大ばか者と信じている人は、自分の選択によってもたらされるあらゆる制裁にしょっちゅう文句を言っている。あなたが自分で自分を大ばか者だと決めたのなら、世間があなたを大ばか者として扱っても文句は言えないはずである。
大ばか者だから、男で苦労ばかりする。大ばか者だから、仕事が上手くいかない。大ばか者だから、奥さんの尻に敷かれる。こんなものはすべて当たり前である。しかし、自らすすんで自分を大ばか者と仮定した人たちは、「あえて辛い道を選んだのだから、何か良いことが待っているはずだ」とか、「これこそが人生の試練なのだ」とか、「傲慢な奴はきらいだ」等と言う。
僕が自分を天才だと思い込んで生活している理由は、おおむねこんなところである。誰をも僕を規定するものはないし、よしんばあったとしてもそれは「僕が」規定したものではない。それはAさん、Bさん個人の中の規定、彼ら個人の中にある「僕」であって、「僕個人」には全く関係が無い。

制裁は人任せ

しかし、「出る杭は打たれる」という言葉が示す通り、常に自分を天才として扱い、振る舞っていれば、相応のしっぺ返しは免れない。それは、社会や組織や対人関係といった形をもって、制裁を加えんとしてくる。
臆病が板についてしまった人は、ここのところがどうもネックになって、自分を天才だと思い込むのを躊躇してしまうかもしれないが、しかし、安心して次の言葉を聞いてほしい。
まず、自分を大ばか者だと信じている人は、しっぺ返しの権利を自分の中に持っていて、常に自分に対して制裁を行っている。自分で自分を折檻する男を想像してみると分かりやすいが、クソ滑稽である。そういう性癖なら仕方がないが、ともかくクソ滑稽である。
自分の中にしっぺ返しの権利を持つ「大ばか者」も、やはりこのセルフ折檻マンと同じで、クソ滑稽である。向上心の裏返しだとか何だとか自分をだましだまし、その実肝心の制裁は自己嫌悪といった何の実も伴わない形をしていることが多い。そのくせ、ちょっと他人に「おまえはだめだ」等と言われたら、自分は大ばか者であると重々承知して生きているはずなのに、大変なショックを受け、即座にホームセンターとかに行って首吊り用のロープを探すに至る。
自分を天才だと思い込んでおけば、自分に対するしっぺ返し、すなわち制裁の権利を丸ごと世間に投げてしまって、自分で自分を罰する権利を放棄できる。自分を制裁する権利はすべて他者にあるのであって、自分にはないという自由な精神を手に入れることができる。
誰かに叱責を受ければ、自分は自惚れていたと気付くことが出来、また悪口を言われれば、天才に嫉妬するのも無理はないと考えることが出来る。天才だと褒められれば、やはりそうか分かっていたさと納得できる。はっきり言ってこれはメッチャ無敵である。こうなった人間は、ナイフで心臓をブチ抜く以外殺す方法は無い。
「自分は馬鹿で天才だ」という自己矛盾を、正しく自分の中に収められている人間は、非常に強い。僕がその良い例である。こんなナリでこんな不出来でも、人の罵詈雑言は気にならない。
尊敬する人の有益なアドバイスはきっちり拾い、家に帰って検証するのを忘れない。
何故なら、僕は天才だから。

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