苦しみ

たとえ愛している人とでも、共に生活するのがこんなにも難しいものだとは考えてもみなかった。

僕は魅力の無さが災いして、これまで女性というものと関わることが少なかった。今の奥さんは、初めて付き合った人でもある。付き合って、3年ぐらい経った後、結婚した。当時22歳。まだまだ激情に流されやすい年頃で、先のことなど何も考えていなかった。
結婚生活は今年で4年目に突入する。奥さんは日々の生活に何ら不満は無いようだけど、僕はそれなりに窮屈さを感じている。僕にとっては法律なんかよりよっぽど強力な奥さんの「愛」が、僕を生活の安寧に縛り付けるのである。
僕の考え方は、ものすごく歪んでいる。また、飛躍してもいる。だから人の理解を得られない。それは別に構わない。僕のことを理解できるのはセンスのある人間だけだと信じているし、また事実その通りであるということを、この目で見てきたからだ。
万人の理解などいらない。けれど、自分の愛する人に自分のことが理解されないと言うのは、結構辛いものがある。それは別に、どちらかが一方通行の関係というのではない。僕は僕なりに、奥さんは奥さんなりに愛を表現しているに過ぎない。
たとえば僕は、こう考えている。僕は奥さんを心の底から愛していて、故に僕の愛は僕自身にのみ根付いている。たとえ奥さんの考え方が180°変わって別人のようになってしまっても、僕自信に芽生えたこの愛が潰えることはない。奥さんが亡くなってしまっても、また、別の人と一緒になろうとも、僕の愛が死ぬことは無い。これは絶対不滅のものだ。
僕の中にこの愛があるうちは、僕は不義理を「働かなくて済む」。たとえ異性と仲良くなったとしても、その人を本気で好きになるようなことはない。僕が本気で好きなのは奥さんだけで、だからこそ僕はその愛を信じるうち、はじめから友達というスタンスで安心して異性と交流することが出来る。
とはいえ、人と人が付き合う上で最低限のマナーというものは存在する。たとえば異性と二人っきりで会うとか、そういうのはアウト。不貞もアウト。もちろん、二人っきりで会おうが不貞を働こうが、僕の中の愛が潰えることはありえないけれど、そこまで信じろ、理解しろ、というのは、もう対人の域を超えている。
奥さんの価値観では、異性と連絡を取り合ったら、その時点でもうアウト。僕とその相手がどれだけクリーンな関係であっても、そんなことは関係なく、一括でアウトである。だから僕はLINEに入っていた10数件の女の子の連絡先を、ある時すべて削除した。まぁもともと連絡など取ってなかったし、何の痛手も無かったけれど。
思うに、奥さんは、僕の中の「男性」を独占したいのだと思う。僕が他の人に向けて放つ「男性」、それに対して何か本能に起因する生理的嫌悪感を抱いていて、理屈云々じゃなくてもうとにかく身体が受け付けないのだと思う。感覚として表現するなら、眼前にゴキブリを置かれるようなものだろう。
僕は別に、奥さんが男と連絡を取り合ってようが、二人っきりで会っていようが、そんなことは何も思わない。奥さんの心の中には間違いなく僕に対する愛があるはずだし、それがある限り彼女が誰かと恋愛関係に陥るなどということはあり得ないと考えているからだ。それは彼女も承知していると思う。
無論、彼女が誰かを本気で好きになってしまう可能性は、無きにしも非ずだ。しかしそうなった場合でも、僕にできることは何もない。嫌いになれ、関係を断て、と迫るのは、僕の真意ではない。それは夫婦間、ひいては対人関係に於けるルールの一つに過ぎないのであって、僕の気持ちとは何の関係もない。彼女の中の愛が萎んでしまったのなら、僕に出来るのはその事実を受け容れる心の準備をしておくことだけだ。確かにそれは悲しいかもしれない。しかし、どうしようもないことだ。僕は奥さんを丸ごと全部愛しているからこそ、とことん彼女を束縛する権利を持たない。

では僕の掲げるこの理論が白日のもと堂々と大通りを歩くようになった暁には、どんな夫婦生活が世間一般とされるのか、考えてみる。
互いは互いに干渉しあわず、ただ各々の心に芽生えている愛を信じ合い、夫婦としてではなく、一個人として生きる。ーーおそらくこうなるだろう。
そして、僕は辟易する。こんな夢物語のような話は、たとえ一億年待っても絶対に来ない。女は嫉妬から逃れられず、男は自由を求めて彷徨い続ける。そのカルマをいかに理性で以て殺せるかが立派な人間の定義であるとされている以上、夫婦生活とは、いかに器用に嘘を吐き続けるかに過ぎない。男は本当は、あの子この子を抱きたいと考えていて、女は女で、この人がよそに流れていかないようにとじっと見張っている。人に対する猜疑心が根底にある、いかにも人間らしい、低俗で廉価な人生だと思う。こんなものの何が共同生活だ。何が夫婦だ。クソくらえ!クソくらえ!!

僕はとことん人を信じている。それの何が悪いのだろう。なぜ僕は人を疑わなくてはいけないのだろう。或る時僕が興味本位で奥さんを疑ったら、彼女はとても嬉しそうにしていた。僕はもう嫌だ。嘘を強要されるこの人間生活が、器用さを求められるこの人間生活が、嫌で嫌で仕方がない。そしてこれを理解してくれる人は、この先も絶対に現れない。永遠の孤独と絶望。僕は奥さんを愛しているのに、彼女はそれを行動で示せと言う。彼女が信じるのはただ僕の行動、形而下的なものだけであって、心は常に行動の後ろについてくるものと考えているらしい。どうして、どうして分かってくれないのか。それとも、「女」である彼女にこんなことを求めるのは、やはり酷なのか。僕も彼女を、「女」として扱わなければいけないのか。強くて賢くて、芯の通ったあの人に、僕は「女性」を見出さなければいけないのか。嫌だ。僕が見ているのは彼女の魂だ。性別なんてどうでもいい。ここに居るか居ないか、生きているか死んでいるかもどうでもいい。僕はただ彼女の魂を愛している。それは絶対に不滅、僕が死んだ後も永久に残る。どうしてみんなそうじゃないんだ。どうしてみんな、人の皮ばかり信用しようと努めるんだ。僕がこんなに悩んでも、君たちは一向に考えを変えてくれない。もうたくさんだ。もう自分の中に芽生えた愛に、自分の肉体が追い付かないのは嫌だ。こんなことならいっそ、僕を白痴か天才で産んでくれればどれほど良かったか。

僕は今選択を迫られている。「金丸」で生きるか、「旦那」で生きるか。金丸で生きるなら、僕はもうどんな女性をも伴侶にする権利を持たない。旦那で生きるなら、僕は僕である必要は無い。

誰か助けてほしい。

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